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利己的な思いが、利他的な思いにつながっていく。

 「ミーツ・ザ・福祉2017」に関わりはじめたときと「ミーツ・ザ・福祉2017」を終えたときの大きな変化は「障害の人とかかわる機会が減ったこと」です。

 ぼくは大学卒業してから8年間、障害者支援のNPO法人で働いていました。ヘルパーとして障害のある人の生活を一緒につくったり、一緒に支えたり。あるいはNPO職員として、障害のある人と地域の人たちをつなげたり。障害のある人の生きづらさをどのように生きやすさに変えていくかに注力していました。

 2017年の夏。ぼくは転職しました。いま障害者支援とはかけ離れた仕事をしています。何だかぽっかりと心に穴が空いたような気がずっとしています。その心の穴を埋めてくれるのが「ミーツ・ザ・福祉」です。障害者支援から離れたことで、自分がいかに障害のある方と接していたか、障害者問題に取り組んでいたかに気が付きました。

 2017年11月11日「ミーツ・ザ・福祉2017」が終わりました。でも、終わりではなくはじまりの音をはっきりと感じました。これからも関わり続け、さらに良い1日にしたいと思うようになりましたし、さらに良いプロセスをつくりたいと思うようになりました。

 これはなぜでしょうか。いくつかの理由がありますが、今回は利己的な理由を1つ紹介します。

 それは「心地よさ」を感じたいからです。ぼくは障害のある人と過ごすことに居心地の良さを感じます。差別は与える側ではなく、受け取る側の気持ち次第となるので、 この発言自体が差別的に捉えられるかもしれませんが、そんな気持ちはもちろんありません。

 ではなぜ心地よいのでしょうか。障害のある人が場に居合わせることが何もかもを包み込む気がし、場がやわらかくなるからだ、とぼくは思っています。

 例えば、脳性麻痺(まひ)で言語障害がある方が発言をするとします。ゆっくりのスピードで、聞き取りにくいトーン。だから、丁寧に聞くし、場が彼に引き込まれていきます。

 例えば、聴覚障がいのある方がワークショップに参加するとします。彼や彼女が場に参加できるように、まわりの人たちがゆっくりと大きな口で話したり、文字を書面におこしたりの工夫を会話に盛り込み、場が彼に照準を合わせていきます。

 障害のある人に配慮をすることが、結果的にそうでない人たちにもプラスになっていくことこそ「ユニバーサルな空間」ですし、障害と向き合う良さの1つだと思います。完全な心地よさではありませんが、みなさんがほどほどの気持ちよさを享受できる空間が「ミーツ・ザ・福祉」には存在します。

 まだまだ彼らに配慮したシーンはなかなかありません。彼らが置いてけぼりになる場はたくさんあります。後者の場をつくってしまう私たち(健常者と呼ばれる人々)のマインドをなくしていき、ほどほどの心地よさを感じ取れる場所をひろげていきたい。

 

 そしてそれを、まちへ。地域へ。社会へ。どんどん「快な」空間をひろげていき、障害があってもなくても、何となく生きやすい社会をつくりたい。そんな壮大な夢を背負って、ぼくは今年も「ミーツ・ザ・福祉」に関わってしまうのだと思います。

(文・世古口敦嗣)