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画一的な環境に疲れた私が、ミーツで変わったこと。

「私ここに居ていいのかな」

「場違いやったかな」

なにかのイベントに参加したとき、そう思ったことはありませんか?

 

ミーツ・ザ・福祉は、そこ、安心していいと思います。

 

なにせ、私(平山貴美)が実行委員になったきっかけは、たまたまですから。

 

実行委員のキックオフ会議でその場に居合わせ、そのなりゆきで参加を問われました。

 

周りは福祉に造詣のある人ばかり。

私は知り合いも少なく、完全にアウェイ。

もちろん、福祉は専門外。

ボランティアもしたことがない。

 

そんな中で実行委員を引き受けたのは、やらしい話、私の役割がちょっと見えたから。それは、福祉を知らないという多様性の担保と、その私がミーツを楽しめばまあまあうまくいくのではないかということ。自分をそのバロメーターにしたい、という気持ちがありました。

 

・自分が平均的で一般的だと思っている人

・福祉や障害に対して、関心はあるけど遠巻きに見てわかった気でいる人

・なんとなく、ちょっとやる気のある人

 

これが当時の私。

 

こんな人がミーツ・ザ・福祉で障害者とどう関わるか、実行委員ならこういうサンプルが欲しいだろうと思ったのです。ならば、私は参加しているだけで良いではないか。ワークショップ(会議の進め方)の勉強中だったこともあって、経験が欲しい私と利害が一致(?)し、ミーツ・ザ・福祉に参加したのです。やや、あざとい。

 

私は自分なりの成果を出しても、あの人の方ができているなどと考えて、相対評価を持ち出しがちな人でした。謙虚をこじらせるというか、自己肯定の低い、自分に自信のない人でした(過去形にできる私スゴイ!)(今は自信があるということではない!)

 

だけど、ミーツ・ザ・福祉では比べる物差しがたくさんあるから、そういうのじゃないんですよね。

「比べる」がない世界を知ったのです。

他者と比べることに、疑問を持てる自分に再会したというか。

 

そこから私の考え方が変化して、ミーツ・ザ・福祉に関わる以前にはやっていない経験をしたとか、あの時より発言できたとか、そうしたこともありつつ、自分に絶対評価を持ち出すようになりました。

 

実行委員会でのびのび発言する自分を取り戻すと、普段の人間関係も楽になったりならなかったりでしたが、自分のパワースポットを持てたことが私にとって宝物です。ミーツ・ザ・福祉に関わるメンバーの前だと安心してチョケれる(ふざけられる)のです。

 

チョケ方を忘れるほど、自分を抑圧してたんですよね、私。

 

抑圧っていうのは、画一的な環境の中で個性を消してふるまうことで、押し黙るというか。でも、その自覚はありませんでした。自分なりの処世術だったからです。

 

ミーツ・ザ・福祉に関わることでチョケるリハビリができましたし、チョケる自分を取り戻すと、私はそもそもこんな感じだったと思い出すのです。

 

健常者だけのイベントだと、この経験はできなかったと思います。

 

最初に書いていた「私をミーツの多様性やバロメーターに利用」なんてのは私が勝手に作り上げたもので、私はあの時、色んな「初めてをやるための言い訳」が欲しかったんです。

 

やってて気づきました。

 

ミーツは利害を求めるとこじゃなくて、その人がその人らしく居ることを求めるところだって。

 

だから、やろうかな、どうしようかなと思って一歩が出ない人は安心していいと思う。居心地がいいかわからないけど、場違いな人は誰もいない。

 

それが、ミーツ・ザ・福祉です。

 

最後に、ミーツ・ザ・福祉で私と関わってくれた全ての人たちに感謝しています。ありがとうございました。

(文・平山貴美)