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私とミーツ・ザ・福祉

 今年の5月頃に声をかけてもらい、ミーツ・ザ・福祉を知った。6月から本格的に会議が始まった。 月に1回、2回と実行委員の会議をおこなってきた。 会議は、らい・ふー(息子と娘)と一緒に参加した。 子どもたち2人には、色んな場面を経験して欲しくて、色んな人に出逢ってほしくて、いつも連れて行った。 騒がしい時も笑顔で迎え入れてくれる仲間に感謝。ここで言います、有難う。

 子どもたちは、子どもたちで、自分の世界を持っていて、会場にいた人たちに関われていたと思う。 息子は、自分から関わる事が苦手で、自分の世界を持っている。 そんな息子が、車椅子の村上さんを『ぼくのともだち』と言ったのは、ミーツ・ザ・福祉の会議、10月の最後の方だった。 息子が『ぼくのともだち』ということはほとんどない。 最後の日には、息子が自分の作成した折り紙をプレゼントしたという話を聞いた(自宅から持ってきたそうだ)。 村上さんが私に、カバンに息子が折り紙を自分で入れたことを教えてくださった。 誰も見て居ないところで、2人の友情が生まれていたようだ。人生の大先輩なのに、ともだちだなんて。笑顔で村上さんは、嬉しそうに私に教えてくれた。

 ミーツのおかげで、この半年色んな人に出逢った。 ミーツ以外でも興味がある分野にも出逢った。 最初は、お祭りをつくるものと思っていた。 しかし、ただのお祭りをつくるわけじゃない。 ミーツの会議に参加するたび、自分の仕事とはかけ離れた世界を見る。それはいい意味で。 近そうで、近くないような、そんな気分。 同じ福祉の世界でも、少し違うような、それがどんどんリンクしていき、混ざり合って、どんどん結び付いていく。 仕事での視点もミーツに参加して、こうすればいいと思うこともあり、仕事への姿勢に変化があった。 日々学ぶ姿勢は崩してはならないこと、今の自分に満足はしていけないこと、日々勉強をする事を怠らないこと。 参加している誰かを見て、頑張ろうと思えた。 いつかミーツで出会う誰かを想像して、頑張ろう思えた。

 そんな中、私が参加したブースは、体験ブース。 体験という言葉1つで、福祉×体験は、福祉器具の体験などかなと思っていた。 当事者の参加で、私の思考が変わる。 体験=体験、想いを伝えること=伝わる=体験になるということ。 私が、頭からそうだと思っていたことは、単なる自分が思っていたことで、ある人は体験ブースは、体験談を話す場所と言っていた。 少数派の中には、様々な貴重な意見があることを知った。 きっとコレをしていたら、楽しいだろうと思うことも、本当に当事者は楽しいの?楽しめるの?そこから、1つずつ考えていく。 形の合わない色んなピースがあり、それが当日に近づくにつれて、合わさっていく感じがした。 リーダーの相方がとても仕事上手で、みんなの役割を紙でつくってくれたりと、上手くまとめてくれた。 相方がいてくれたおかげで、参加してる実行委員も安心して意見が言えて、一人一人のモチベーションも上がっていったと思う。 前日の会場設置、初めてのテント設置に戸惑った。でも、純粋にテント設置を楽しい!と思えた。 どんどんテントが建てられると、当日の様子が少しイメージできた。

 ミーツの当日、ドキドキした不安とワクワク感でいっぱいだった。 早速はじまった体験ブース、いろんなコミュニケーションを試そうでは、様々なコミュニケーションで会話をした。 筆談で会話をしたり、カードを使ったり。 ミーツ・ザ・オトモダチでは、申し込みのあった人同士が、ミーツの会場を回った。知らない人同士で出逢ったが、最後にはオトモダチになれた。 運動会したい!では、三種目を。目隠しリレー、車椅子でパン食い、ジェスチャーリレー。 車椅子を乗る男性の膝の上に子どもが座る。 ニコニコお互いに笑いあいながら。 そんな光景を見た。キラキラしていた。

 ミーツの会場内では、きっと色んな意見があったと思う。 しかし人で溢れていて、私が会った来場者はとても笑顔だった。 会場を駆け巡っていたので、他のブースがどうだったかは、あまり見に行けず。色んな反省点も含めて、来年も実施できることを願っている。 健常者と言われる人もたちも何かしら得意不得意があったり、色んな場面で緊張したり、合う合わないなどもある。 障害のある社会だから生きにくくなる。だけど、全ての人が当たり前に生きる権利があり、彼らやわたしたちの持つものも1つの個性だと思ったら、当たり前に地域で生きやすくなるのではないか。

 ミーツ・ザ・福祉で、人への思いやりや丁寧にすること、普段自分の目線からでは見えないものを違った目線、視点から見ることを知り、さまざまな答えがあることを知った。 遠くに感じているものは、意外と近くにあるのかもしれない。そこで初めてそれぞれの場面が見えてくるのではないかと思う。

(文・大永尉惠)